夏になると怪談話がよく出てきますが、はたして幽霊というのは本当にいるのでしょうか?
科学的に言えば、「ない(いない)ことの証明はできない」となるのですが、ちょっと違った視点から真面目に考えて見たいと思います。
この記事を読み終えたら、きっと幽霊が怖くなくなりますよ(笑)
まずはここから考える! 幽霊の何が恐いのか?
幽霊を怖がるというのは何となく理解は出来るのですが、仮にいたとして何が恐いのでしょうか?
まずはここから考える必要があります。
考えられるのは、
- 取り憑かれる
- 目に見えない力で危害を加えられる
- 魂を吸い取られる
とまぁこういった類の、報復や回避が不可能な危害を加えられるかもしれないという点を恐れているのだと思います。
何かされても警察に頼るわけにはいきませんし、
自分の意志とは無関係に事件を起こしたり、巻き込まれてしまうことを恐れているわけです。
「ない(いない)ことの証明はできない」訳ですから、「幽霊の仕業だ」という証明も当然できません。
となると最悪、事故で命を落としたり、憑依されて犯罪を犯せば社会的に抹殺されたりするのですから当然といえば当然ですね。
幽霊には何かができるのか?
次に考えるのはこれです。
自動車のハンドルを操作して事故を起こさせたり、憑依して銀行強盗をしたりといったことが可能かどうかです。
物理的に物を動かせるかや、憑依できるかは良くわかりませんが、どちらも実際に行動を起こすには「意思」が必要になります。
行きている時には脳で考えたことが神経を伝って手足を動かしてる訳ですが、幽霊には物理的な脳がありませんよね。
精神体だから生きていた時の記憶を全て覚えている
と言い出す人がいそうですが、記憶というのは脳の中に物理情報として記録されているということがわかっています。
つまり生きている時に記録情報を欠損すれば記憶を失うのです。
それが死んで幽霊になればその記憶もすべて取り戻すというのは少々都合が良すぎる考え方かと思います。
人間の記憶というのは物理的な情報のため、脳がなければ
- 何も記憶がない
- 言葉が喋れない
- 考えることができない
はずで、同様の理由で物を見ることはできないし、音を聞くことも出来ないはずです。
でも霊的な神秘的で我々の常識を超えた力で存在する物だと主張する人も大勢います。
なのでもう一点、違う視点で考えて見ます。
歴史を振り返って考えてみる
世間一般にある怪談から考えるに、悪さをする幽霊の原動力となっているのは怨念です。
残虐な殺され方をしたり、理不尽な殺され方をしたりした人が怨霊となって復讐をするのです。
物語的にはそのほうが都合がいいし、感覚的にも悪い事をした人がその報いを受けるとう点で受け入れやすいのですが・・・
さてここで問題です!
過去を振り返ってみて、一番多くの人間を殺したのはいったい誰でしょうか?
一番多くのという点を除けば大勢あがるかと思います。
- 原爆を落とした時の大統領(ルーズベルト)
- 清の始皇帝
- 戦国武将の面々
- ・・・・
あげればきりがありません。
さて、この人達はいったい何人の人を殺しているのでしょうか?
一人や二人ではありませんよね。
何千、何万、何十万という人々が理不尽に死んでいます。
死んでいるのは戦を糧にしている武人ではなく、ほぼ全て一般市民です。
刀で切られたり、火で焼かれたり、被爆して苦しみながら死んでいったはずです。
家族や最愛の人が目の前で理不尽に死んでいくのを見た人も多いでしょう。
そういった人達に、怨霊となって復讐ができる選択肢がもしあれば、地獄に落ちて未来永劫苦しみが続くとしても復讐したい人はいるとは思いませんか?
織田信長は数万人を殺していますが、50歳迄生きて武将として戦い、名誉ある死を遂げています。
始皇帝やルーズベルトに関しては天寿を全うしているといえます。
もし生きていた時の記憶を引き継げて、物理的な干渉ができるのであれば、一万人に一人くらいは、全てを犠牲にしてでも復讐したいと思う人はいると思うのです。
ですが、数千、数万人レベルで殺している歴史上の人物を見る限り、残虐な殺され方をした人をみたことはありません。
戦で負けて死ぬというのは、「名誉なこと」ですので復讐にはなりませんからね。
まとめ
冒頭でも書きましたが、いないことの証明はできません。
ですが、上で書いたような視点で考えると、
仮に幽霊が存在したとしても「何もしないし何もできない」と考えることができます。
こう考えると幽霊に対する恐怖というのはなくなりませんか?
一番恐いのは生きている人間ですよ
これだけは絶対に間違いありません。